心しだいで世界はかわる

作者:   koueisaijyo   |   カテゴリー :   コラム

地獄はあるのか?ないのか?いつであったか、「地獄」の問題で、見知らぬ酔客からひどくからまれたことがあった・わたしはある店で友人と飲んでいて、仏教のことを話していた。

たまたまわたしが、「地獄の実在を信じる」と語ったことばを聞きとがめた彼が、話に割り込んできたのである。

地獄の話というのは明らかに、酒席にふさわしくない話題であったが、わたしは真剣に説明した。

「地獄」や「極楽」、「仏」や「神」、それらのものは、あるか?ないか?……と問うべき性質のものではない。

「あるか?ないか?」といった質問の仕方が間違っているのである。

:….というのが、わたしの主張であった。

たとえば、病気になって医者に行く。

患者が医者に問う。

「わたしの病気は治るでしょうか?」と。

ある大学病院の医者が言っていた。

そんな質問をされると、いちばん腹が立つ、と。

治るか治らないか、医者である自分はいちどもそんなことを考えたことがない。

自分が考えるのは、この患者はこの大学病院しか引き受け手がないのだから、絶対に治してやろう、治さねばならない、という使命感だけである。

だから患者も、この病気を治すべきだ、治さねばならぬ、と考えてほしい。

そうでないと、治る病気も治らなくなる.…:。

ほんとうにそのとおりだと思う。

「治るか?治らないか?」と、そんな設問の仕方がナンセンスなのだ。

われわれは、「治さねばならない」と考えるべきである。

そう考えたとき、わたしたちは正しい態度で病気と取り組めるわけである。

同様に……、|とわたしは思っている。

「地獄」の問題について考えるとき、わたしたちは「地獄が現実に存在しているか?それと鴫存在していないか?」と間うてはいけない。

そんな問い方をすれば、わたしたちの生き方とは無縁な、たんに興味本位の問題、クイズ的な問題になってしまう。

わたしはそう思っている。

それでわたしは、たまたま酒席で知り合っただけの相手に、こう言ったのである。

「いまあなたは、地獄はあるか?ないか?と問われたが、それは違うんですよ。

地獄はあるべきか?と問うべきなんです……」けれども、もちろん、わたしの発言は聞き流しにされた。

そして相手は、「地獄があるというんであれば、地図に描いて示せ!」と、勝ち誇ったように言った。

「見たこともないくせに、偉そうなことを言うな!」と、彼はわたしを蔑みの目で見た。

しかし、わたしは、彼のその目の中に、地獄を見たのであった。

家族葬 公営斎場

2月 18, 2017